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41. 将軍の影

Auteur: 月歌
last update Date de publication: 2026-06-29 14:43:14

水路の空気が、ぴたりと止まった。

夜風さえ息を潜めたようだった。

楚凌は物陰に身を伏せたまま、ゆっくりと呼吸を殺す。男たちの気配が変わっている。先ほどまで反乱の成功を語っていた緩みが消え、獣のような鋭さが滲み始めていた。

「今、音がしたな」

低い声だった。

複数の足音が、水路沿いの石畳を踏みしめる。こちらへ近づいてくる。

楚凌は静かに腰の剣へ手をかけた。

背中が痛む。

火傷した皮膚が汗で引き攣り、衣が擦れるだけで熱が走る。だが、その痛みが逆に意識を研ぎ澄ませていた。

(ここで斬り合えば、宮城へ知らせる前に足止めされる)

それが最悪だった。

今、最優先すべきは反乱の報告だ。景炎へ知らせなければならない。宮城が落ちれば、それで終わる。

男たちの一人が、こちらへ近づいてくる。

黄色い布が夜目にも浮いて見えた。

「……誰かいるのか?」

楚凌は息を止める。

あと数歩。

その時だった。

別の男が低く舌打ちした。

「待て」

「何だ」

「そこ、血の匂いがする」

楚凌の目が細くなる。

火傷の傷口が開いていた。

知らぬ間に滲んだ血が、夜気に混じっていたのだ。

「出てこい!」

男の声が鋭くなる。

同時に、
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    城外から近づいてくる騎馬の列を、楚凌は城壁の陰からじっと見つめていた。白旗を三度振ってから、さほど時間は経っていない。それでも待つ時間は妙に長く感じられた。大門は開いたまま、門前には敵兵から奪った旗が掲げられている。捕虜の装束をまとった味方の兵も、外から見える場所に数人だけ配置していた。城外から眺める限り、王都の大門は完全に反乱軍の手へ落ちたように見えるはずだった。「先頭、騎馬十数騎」隣の門番頭が低く告げる。「後方にも兵が続いております。百……いえ、それ以上かと」「本隊ではないな」「はい」楚凌は小さく頷いた。陸曜は景衡軍すべてを連れてくるつもりではない。慎重な男だ。王都の大門を確保したとの報せを受けても、まずは自ら護衛を伴って入り、内部の状況を確認する。その後に本隊を動かすつもりなのだろう。それでいい。むしろ、その方が都への被害は少なくて済む。楚凌は城壁から降りると、門の内側に配置した兵たちを見回した。誰も声を出さない。槍を握る手に力が入り、弓兵たちも暗がりの中で息を潜めている。「陸曜本人を確認するまで動くな」楚凌は念を押した。「護衛だけが入ったところで門を閉じれば、外に本人が残る。それでは意味がない」「はっ」「それから、敵が入ってきても騒ぐな。最後尾まで十分に門を越えさせろ」門番頭が頷いた。楚凌は腰の剣へ手を添えた。背中が熱い。包帯の下では火傷が脈打つように疼き、肩の傷も先ほどの戦闘でまた開いたらしい。衣の内側へじわりと血が滲んでいるのが分かった。だが、不思議と身体は軽かった。痛みを感じないわけではない。それよりも、今まで散らばっていたものが一つの場所へ集まってくるような感覚があった。将軍だった自分。門番へ落とされた自分。蘭珠を妻として迎えた自分。そのどれもが、今夜この門

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  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   46. 静かな夜

    侍医が楚凌の肩へ新しい包帯を巻き終える頃には、正殿の空気も少しずつ落ち着きを取り戻していた。怒号が消えたわけではない。だが、それは混乱から生まれる悲鳴ではなく、命令を伝え、兵を動かすための声へ変わっている。景炎は地図を前に立ったまま、武官たちへ次々と指示を飛ばしていた。「西の荷門は平時どおりの警備を続けろ。門番を総入れ替えするな。黄色い布を巻いた者を見つけても、こちらから捕らえる必要はない。監視だけに留め、決して敵へ異変を悟らせるな」「はっ!」武官たちは一斉に頭を下げ、それぞれの持ち場へ散っていく。その中で、一人の門番頭だけが足を止めた。白髪混じりの老兵は、納得できないという表情で楚凌を見る。「楚凌殿。門番にとって、門を守ることは何よりの務めです。敵が門を開こうとしていると知りながら手を出さぬなど、若い者たちは戸惑いましょう」楚凌は静かに頷いた。その気持ちは痛いほど分かる。三か月前の自分なら、同じことを口にしていただろう。「見逃すのではありません」穏やかな口調で答える。「敵が勝ったと思う、その一瞬だけ待つのです。景衡軍は内応が成功したと信じなければ動きません。ならば、その油断を利用します」門番頭は腕を組み、しばらく考え込んでいた。やがて深く息を吐くと、ゆっくり頭を下げる。「承知いたしました。若い者たちにも、そのように伝えます」楚凌は小さく頷いた。老兵が去ると、侍医が困ったような顔で包帯を結び直す。「これで終わりです。ですが、火傷も肩の傷も決して浅くはありません。どうか無理だけは……」楚凌は肩をゆっくり回した。鈍い痛みが走る。それでも腕は上がった。剣も握れる。「十分です」短く答えると、侍医は諦めたように肩を落とした。「戻られたら、今度こそ安静にしていただきます」「約束します」楚凌は穏やかに笑い、壁際へ置かれていた装束へ歩み寄る。武官の一人が恭しく将軍鎧を差し出した。「楚凌殿。こちらをご用意いたしました」銀の飾り金具が灯火を受けて静かに輝いている。かつて幾度となく戦場で身につけた鎧だった。楚凌はそれを見つめたあと、静かに首を横へ振る。「必要ありません」武官が驚いたように目を見開く。「ですが、この戦は――」楚凌はその言葉を遮ることなく、隣へ置かれていた門番の装束を手に取った。質素な衣だった。

  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   2. 出陣の朝、約束の口づけ

    「……本当に、行ってしまわれるのですか」障子越しに差し込む朝の光が、白い帳を淡く透かしていた。 寝台の上で身を起こした蘭珠は、自分の声が震えているのを自覚する。部屋の中央で甲冑を締め直していた景炎が、手を止めて振り向いた。 漆黒の髪を高く結い上げ、その上から金の冠を載せている。いつもより厳しい横顔。それでも、蘭珠を見ると、ふっと表情が和らいだ。「行かねばならぬ」短く告げられた言葉は冷たく聞こえて、けれど、その瞳には迷いが滲んでいた。蘭珠は掛け布を握りしめたまま、そっとお腹に手を添える。 まだ膨らみと呼ぶにはほど遠い。だが、医官は確かに言った。――ご懐妊、おめでとうござい

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  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   4. 帰還の報せと、満月の影

    景炎が出陣して三十日。蘭珠は毎朝、宮門のほうを見つめる癖がついてしまっていた。勝利の報せは届いた。しかし景炎本人からの文は、最初の一通きりだ。「必ず戻る」と記された、あの短い文を最後に。蘭珠は机に向かい、書きかけの返書をゆっくり丸めた。何度書いても、出す前に胸が疼く。(殿下……どうして何の返事もくださらないの)体を動かさなければ、涙が溢れてしまいそうだった。だから庭に出る。ゆっくりと歩き、朝露の光る芍薬の花を眺める。けれど、心は晴れない。そこへ突然、侍女の梅香が駆け込んできた。「蘭珠様! 急ぎのご報せです!」「景炎の……殿下のお便りかしら!?」期待が一気に胸へせ

  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   3. 風の中の影

    夜更けの回廊は冷え切っていた。蘭珠はその中を、ひとり震えながら歩いていた。産むべき子を抱えた腹を、そっと両手で包み込む。景炎が出陣してから、宮中は目に見えて変わった。侍女たちは蘭珠を避けるようになり、妃仲間も距離を置く。理由はわからない。ただ——景炎が書き送ってきた文が、ぱたりと途絶えた。「何かあったの……?」胸の奥で不安が揺れる。あれほど深く求められ、愛され、「必ず戻る」と誓いさえ交わしたのに。蘭珠は壁に手を添え、深く吸い込んだ。冷たい空気が肺を刺し、胸が締め付けられる。そんな彼女のもとへ、小走りの影が近づく。「蘭珠様、戻られましたか……!」若い侍女・梅香が、顔

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